マン島から来た「そばかす王」がウェールズを救った? 新しい王家の祖、メルヴァン・ヴリッヒ

ピンチのときに、どこからともなく現れて国を救うヒーロー。物語ではおなじみの展開ですよね。
実はウェールズの歴史にも、そんな「救世主」みたいな王さまがいます。海の向こうの小さな島からやってきて、ボロボロだった北ウェールズを立て直し、新しい王家を始めた人物。その子孫からはウェールズの名だたる王たちが生まれ、血筋はやがてイングランド王家にもつながっていきます。
名前はメルヴァン・アプ・グワリアド。あだ名は「メルヴァン・ヴリッヒ」、つまり「そばかすのメルヴァン」です。
なお、これからお話しする内容は、中世の年代記や伝説などをもとに僕の解釈も加えたものです。物語としてお楽しみください。
不吉なことばかり起こる国
時代は9世紀のはじめ、ウェールズ北部の強国グウィネズのお話です。
ウェールズの年代記には、このころの出来事がこんなふうに書き残されています。ブリテン島で牛が次々と死んでいく疫病が広がり(810年)、その2年後には、王の砦デガヌイが雷に打たれて燃え落ちた(812年)。

なんだか、国がダメになる前ぶれみたいですよね。
そして、その予感は当たってしまいます。グウィネズでは王家の後継ぎをめぐって、コナン王とハウェルの争いが何年も続きました。さらに東からは、アングロ・サクソン人の強国マーシアがじわじわ攻め込んできます。822年には王の砦デガヌイがマーシアに壊され、隣のポウィスもマーシアに奪われてしまいました。
「この先、ウェールズはどうなってしまうんだろう……」
人々がそんな不安を抱えて暮らしていたころ、海の向こうで、ひとりの若者が出番を待っていました。
海の向こうの島から来た、そばかすの若者
その若者こそ、メルヴァンです。
メルヴァンが育ったのは、ブリテン島とアイルランドのあいだに浮かぶマン島。当時はブリトン人(ウェールズ人の祖先)の言葉で「マナウ」と呼ばれていました。父親のグワリアドは、この島を治める人物だったと言われています。マン島からは「グワリアドの十字架」と刻まれた石の十字架も見つかっています。
ちなみに「マナウ」という地名は、スコットランド南部にもありました。なので、メルヴァンの一族は実はそちらの出身だった、という説もあります。
そして大事なのが母親です。母親のエシリトは、グウィネズのコナン王の娘。つまりメルヴァンは、母親を通じてグウィネズ王家の血を引いていたんです。

ポウィスとの絆
伝えられるところによると、メルヴァンはまず、マーシアに苦しめられていたポウィスに手を貸したそうです。
ポウィスの王カンゲンは、メルヴァンの働きぶりにすっかりほれ込みます。
「この男はできる。ずっと味方でいてほしい。そうだ、妹のネストを嫁がせよう!」
……というのは、僕が想像したセリフです。でも、メルヴァンがポウィス王家のネストと結婚したのは本当のこと。こうしてグウィネズの血を引く若者と、ポウィスの王家が、しっかり結びつきました。

「直系じゃなくても、血がつながっていればいい!」
いっぽう、母親の故郷グウィネズは大変なことになっていました。
長い後継ぎ争いでコナン王は亡くなり、王座についたハウェルも825年に世を去ります。マーシアの攻撃で、国はボロボロ。「王家の直系にこだわっていたら、国がなくなってしまう……」という状況でした。
そこで名前が挙がったのが、メルヴァンです。
ウェールズでは、王の息子が国を継ぐのがふつうでした。母方の血筋で、しかも海の向こうから来た人物が王になるのは、かなり異例のこと。それでもメルヴァンは、825年ごろ、ウェールズ最強の国グウィネズの王になりました。話し合いで迎えられたのか、それとも力ずくで王座をつかんだのか、そこははっきり分かっていません。
ここから、新しい王家が始まります。
ウェールズに平和が戻ってきた
メルヴァンが王になったころ、ちょうど風向きが変わりはじめます。
ウェールズを苦しめてきたマーシアが、825年に南の強国ウェセックスに大敗し、そのあとは王家の内輪もめで力を失っていったのです。830年にはウェセックスの王エグバートがウェールズに攻めてきて、メルヴァンもこのとき屈服した王たちの一人だったかもしれません。それでも、メルヴァンは約20年間グウィネズを治め、国を落ち着かせることに成功しました。
メルヴァンの宮廷は、なかなかにぎやかだったようです。アイルランドから学者たちが訪ねてきていて、その一人が残した手紙が、今もドイツのバンベルクに残っています。中身は、文字を数字に置き換えて読む「暗号パズル」。手紙には「ブリトン人の王メルヴァン」の名前がしっかり書かれていて、メルヴァンの宮廷で書かれたものだと考えられています。

アーサー王の物語を生んだ王?
メルヴァンの宮廷とかかわりが深いと言われるのが、『ブリトン人の歴史』という歴史書です。
この本は、メルヴァンの治世のグウィネズでまとめられたと考えられていて、写本のひとつには「メルヴァン王の4年目」という書き込みも残っています。昔からネンニウスという人物が書いたと言われてきましたが、本当の作者は分かっていません。メルヴァンが書かせたのでは、という見方もあります。
そして、この本がすごいのは、アーサー王の12の戦いを具体的に書いた、いちばん古い資料だということ。
「ウェールズの、そしてマナウを含めたブリトン人の歴史を後世に残さねば!」
もしメルヴァンがそう考えてこの本を書かせたのだとしたら、アーサー王物語の生みの親は、マン島から来たそばかすの王さまだった、なんてことになるかもしれません。
大きく広がったメルヴァンの血筋
844年、メルヴァンは亡くなりました。同じ年にケテルという場所で戦いがあったと記録されていて、その戦いで倒れたのでは、という見方もあります。
後を継いだのは、息子のロドリ。のちに「ロドリ大王」と呼ばれる人物です。ロドリは、母親ネストの実家ポウィスも受け継ぎ、ウェールズの大部分をひとつにまとめていきます。ちなみにロドリ大王には、ラッパーのエミネムのご先祖さまだという話もあるんですよ。
メルヴァンから始まった王家は、ハウェル善王、そして中世ウェールズの英雄たちへと続いていきます。さらにその血は、婚姻を重ねてイングランド王家にも流れ込んでいきました。
メルヴァンはどんな人物だったのか
メルヴァンについて、たしかに分かっていることは多くありません。母方の血だけを頼りに、海の向こうからやってきて、ボロボロだった国の王になった。そして約20年かけて国を落ち着かせ、次の世代にバトンを渡した。記録に残っているのは、ほぼそれだけです。
でも、そのバトンを受け取ったのが、ウェールズを統一したロドリ大王。そして、宮廷で生まれたかもしれない本は、アーサー王伝説の出発点になりました。
知られていないけれど、ウェールズの歴史にも、イギリスの歴史にも、大きな足あとを残した王さま。少しでもメルヴァンの物語を楽しんでいただけたらうれしいです。
メルヴァンが現れるまでの混乱は戦乱時代の記事で、息子ロドリ大王の活躍は統一時代の記事で紹介しています。アーサー王のモデルとされる王さまたちが気になる方は「アーサー王」は実在した?の記事もどうぞ。





