復讐を捨てた王? 「祝福された」カドワラドル・アプ・カドワロンの生涯

親の仇を討って、奪われた国を取り戻す。中世の物語ではおなじみの展開ですよね。
でも今日の主人公は、その「おなじみ」を途中でやめてしまった王さまです。名前はカドワラドル・アプ・カドワロン。軍勢をそろえ、いよいよ出陣という日に、なんと戦うのをやめてしまいました。
それなのに、ウェールズの人々からは「祝福されたカドワラドル」と呼ばれ、何百年も後の王たちまで「自分はカドワラドルの子孫だ」と名乗りたがりました。戦わなかった王が、どうしてそこまで慕われたのか。生涯を年代順にたどってみます。
なお、これからお話しする内容は、中世の年代記や伝説などをもとに僕の解釈も加えたものです。物語としてお楽しみください。
英雄カドワロンの息子として
カドワラドルは、7世紀の北ウェールズの王国グウィネズに生まれました。父親は、幼なじみのエドウィンを倒したことで知られる英雄王カドワロンです(カドワロンの記事)。
生まれたのは633年ごろ、つまり父親が亡くなる直前だったとも言われます。634年、カドワロンはノーサンブリアのオズワルドとの戦いで命を落としました。カドワラドルは、父親の顔をほとんど覚えていなかったかもしれません。

国を乗っ取ったカドヴァエル
王を失ったグウィネズは、大混乱に陥ります。そのすきに王の座をつかんだのが、カドヴァエルという男でした。
伝承では、カドヴァエルは王家の血を引かない成り上がり者。グウィネズは、キネダ以来ずっと続いてきた一族の手から奪われてしまったのです。幼いカドワラドルは国を追われ、海の向こうのブルターニュ(今のフランス北西部)へ逃れたと伝えられています。
ちなみに、カドヴァエルには「カドメッズ」、つまり「戦いをよける者」というありがたくないあだ名がついています。どうやら、あまり頼りになる王ではなかったようです。
いざ出陣、そのとき聞こえた声
ブルターニュで大人になったカドワラドルの胸には、ずっとひとつの思いがありました。いつか必ずグウィネズを取り戻す。
やがて時は満ち、ブルターニュの王アランに相談して軍の援助を取りつけます。船も兵もそろい、いよいよ出発です。
ところがその日、カドワラドルは天からの声を聞きました。
「攻め入るのはやめなさい。王座を捨て、祈りの日々を送りなさい。そうすれば、いつの日かブリテンは、ブリトン人(ウェールズ人の祖先)の手に戻るだろう」

マーリンの予言を思い出して
カドワラドルは迷いました。悪いのはカドヴァエルです。倒すことこそ人々のためになるはずなのに。
そのとき頭に浮かんだのが、魔法使いマーリンの予言と、ヴォーティガンの最期でした。ヴォーティガンは王コンスタンス2世を殺して国を奪い、最後はコンスタンスの弟アンブロシウスたちに追いつめられて、雷に打たれて死んだと伝えられています(アンブロシウスの記事)。
力ずくで国を奪い合えば、また同じことのくり返しになる。そう考えたカドワラドルは、復讐の道を捨てることにしたのです。
ローマへの巡礼
カドワラドルが向かったのは、戦場ではなくローマでした。グウィネズの王族として初めてローマに巡礼し、教皇のもとで修道士となって、故郷の平和をひたすら祈り続けたといいます。

そのころのグウィネズは、疫病で人が減り、敵に攻められ、荒れ果てていました。それでも、王座を捨てて祈る王のうわさは人々の心を打ち、カドワラドルは苦しい暮らしを支える心のよりどころになっていきました。
息子イドワルの帰還
カドワラドルは、息子のイドワルにあとを託しました。成長したイドワルはグウィネズに戻ってカドヴァエルを倒し、ついに国を取り戻したと伝えられます。
一説には、655年ごろからはカドワラドル自身がグウィネズの王として国を治めたとも言われます。ブルターニュやローマの話は後の時代の伝説なので、実際には、王として国に残っていたのかもしれませんね。
その後のカドワラドルは聖人として過ごし、多くの教会を支えたといいます。アングルシー島には、今も彼の名を冠したスランガドワラドル教会が残っています。

最期は682年、疫病で亡くなったと年代記は伝えています。一説には、ローマで亡くなったとも言われます。
カドワラドルはどんな人物だったのか
実は、カドワラドルについて確かな記録はほとんど残っていません。ブルターニュへの亡命や天からの声の話は、12世紀にジェフリー・オブ・モンマスが書いた『ブリタニア列王史』に出てくるものです。ジェフリーは、同じころローマで亡くなったアングロ・サクソンの王の話を、カドワラドルの物語に重ねたとも言われています。
それでも、ウェールズの人々にとってカドワラドルは特別な王でした。詩や予言の中では「いつか帰ってきてブリテンを取り戻す救い主」として歌われ、のちのウェールズの英雄オウァイン・グリンドゥールや、イングランド王になったヘンリー・テューダーまでが、カドワラドルの子孫であることを誇りにしました。

剣を抜けば勝てたかもしれないのに、あえて抜かなかった。強さではなく、人を思う心で慕われた王。それがカドワラドル・アプ・カドワロンです。
父親の波乱の生涯はカドワロンの記事で、この時代のウェールズ全体の流れはブリタニア時代の記事で紹介しています。カドワラドルの旗印とされる赤い竜については赤い竜の歴史もどうぞ。





