外からはマーシア、内からは下剋上――ウェールズ版“戦国時代”と、救世主になった島の男

今回お話しするのは、「戦乱時代」と呼んでいる7世紀後半から9世紀前半のウェールズです。隣のアングロ・サクソンの強国マーシアに攻め込まれる一方で、国内では後継争いや下剋上が相次ぎ、まさに内憂外患の時代でした。そしてこの時期、ウェールズ・イングランド・スコットランドの国境が、ほぼ今と同じ場所に形づくられていきます。

ウェールズ歴史年表

内からも外からも攻められた、ウェールズ版“戦国時代”

「戦乱時代」と聞くと、日本の戦国時代のような領土の奪い合いや下剋上を想像するかもしれません。実際その通りで、ただし違いがひとつ。ウェールズの場合は、外国からの侵略と、国内の後継争いという2種類の戦乱が同時に押し寄せてきたのです。

7世紀後半はまだ比較的落ち着いていたものの、8世紀に入ると状況は一気に深刻になります。アングロ・サクソンの強国マーシアの脅威にさらされて領土はどんどん狭まり、一方で国内には指導力のある統治者がおらず、後継争いや権力争いで国が乱れていく。人々にとっては、なんとも不安な時代だったに違いありません。

押し寄せるマーシア、そして国境をつくった巨大な土塁

まずはアングロ・サクソン族の勢力拡大を振り返ってみましょう。5世紀半ばに東岸から侵入した彼らは、600年頃にはブリトン人を西と北へ追いやってブリテン島の大部分を占領。650〜700年頃には北部のノーサンブリア王国が最大勢力となり、700年を過ぎると今度は中央部のマーシア王国がいくつかの国を吸収して西へと版図を広げていきます。

アングロ・サクソン諸国の地図

その矛先が向いたのが、ウェールズ東部の国ポウィスでした。マーシアの圧力によって650〜700年の間に東半分のパングェンを奪われ、領土は縮小していきます。

ウェールズ諸王国の地図

8世紀半ば、マーシアにオッファという強力な王が現れると、その勢いはさらに増し、マーシアはアングロ・サクソン七王国のなかで最大の勢力を誇るようになりました。そしてオッファ王は、ウェールズとの戦いに備えて、なんと全長283kmにも及ぶ土塁を築き上げます。奪った領土を守るためだったのか、さらなる攻撃の足がかりだったのかは分かりません。

オッファの防塁の地図

この土塁は「オッファの土塁(オッファの防塁)」と呼ばれ、今も残っています。興味深いのは、そのラインが現在のウェールズとイングランドの国境とほぼ一致していること。つまりこの土塁によって、ウェールズとイングランドの境界線がほぼ決まったと言っても過言ではないのです。

疫病、落雷、そして内乱――まさに“世紀末”のウェールズ

世紀末のウェールズ

マーシアの侵略だけでも大変なのに、ウェールズ国内の状況はそれに輪をかけて厳しいものでした。土塁を越えてマーシアが攻め込んでくるかもしれない不安、牛の伝染病で次々と死んでいく家畜、さらにはウェールズ最強国グウィネズの王宮に雷が落ちて焼失するという不吉な出来事まで。

そこへ追い打ちをかけるように、下剋上や後継争いの激しい内乱が起きてしまいます。外敵に疫病、食糧不足、不吉な事件に内乱。アーサー王のような救世主の登場を、誰もが願ったことでしょう。

王室の血筋ではない男が、40年も国を治めた

下剋上を果たしたカラドグ

ウェールズ最大勢力のグウィネズ国は、5世紀半ばにキネダ・アプ・エダンが王室を築いて以来、基本的にその血筋が国を治めてきました。ところが8世紀初め頃、王室の血筋から外れたカラドグ・アプ・メイリオンという人物が統治者になります(実は7世紀にも一度、部外者に奪われたことがありました)。

なぜそんなことが起きたのか。理由として2つ考えられます。ひとつは、ウェールズでは王室の血筋であっても家臣たちの同意がなければ統治者になれず、無能な人物は排除されるルールがあったこと。ふさわしい王族がおらず、カラドグが適任と見なされたのかもしれません。もうひとつは、ウェールズ特有の「領土を息子たちに均等に分ける」風習。公平ではあるものの、代を重ねるごとに領土は細切れになり、やがて領土争いが起きるようになります。カラドグは自分の領土を広げるために統治者の土地を奪ったのかもしれません。

真相は分かりませんが、カラドグは40年以上グウィネズを治め、その間に王室側からの報復はなかったようです。ただしその時代は、マーシアのオッファ王の攻撃が最も激しい時期でもありました。カラドグ自身もアングロ・サクソンとの戦いで命を落とし、その後ウェールズは激しい後継争いの内乱へと突入していきます。

4年に及ぶ泥沼の後継争いで、国は荒れ果てた

コナン対ハウェルの争い

カラドグの戦死後、グウィネズの統治者は王室の人間に戻り、798年に前任者ロドリの息子コナン(コナン・アプ・ロドリ)が後を継ぎます。ところが、これに納得しない人物がいました。カラドグの息子とされるハウェルです(コナンの兄弟という説もあります)。

それまでウェールズでは目立った権力争いはあまり起きていませんでしたが、この争いを皮切りに、以後数百年にわたって内乱が頻発するようになります。コナン対ハウェルの戦いを、ラウンド形式で追ってみましょう。

  • 第1ラウンド(812年):ハウェルが統治者の座を狙って挑戦。コナンがこれを退け、面目を保ちます。
  • 第2ラウンド(814年):諦めないハウェルが勢いを盛り返して再戦。今度はハウェルが勝利し、統治者の座を奪取。敗れたコナンは、娘エシリトの嫁ぎ先であるマン島へ逃れます。
  • 第3ラウンド(816年):マン島で態勢を立て直したコナンが帰還し、ハウェルに挑みますが、またも敗北。追放先で力尽きて亡くなり、ハウェルは825年までグウィネズを治めました。

812年から816年までの4年間に及ぶこの破壊的な争いで、ウェールズ北部は大きなダメージを受けます。しかも内乱の隙をついてマーシア王コエンウルフがグウィネズ中部を占領し、要塞を廃墟に変えてしまいました。ウェールズはますます荒れ果てていったのです。

海の向こうから来た救世主――新たな王室の誕生

疫病に自然災害、内乱、そしてマーシアの侵略。荒廃したウェールズで、人々は生きる希望を失いかけていました。コナンとハウェルの権力争いにはすっかり愛想を尽かし、「今の王室の血筋には、この国を立て直せる人物はいない」と考えるようになっていたのです。隣国ポウィスもまた、マーシアに攻められ続けて新しい指導者を求めていました。

ここで鍵を握るのが、コナンが逃げ込んだマン島です。マン島の住民はウェールズと同じブリトン人で、コナンの娘エシリトは島の統治者グワリアドと結婚していました。二人の間に生まれた息子がメルヴァン(メルヴァン・アプ・グワリアド)、通称「ソバカスのメルヴァン」です。

マン島から援軍を率いて現れたメルヴァン

成長したメルヴァンは、ポウィスの王女ネストと結婚します。当時のポウィスの統治者はネストの兄カンゲンで、マーシア王セオウルフの攻撃に苦戦していました。メルヴァンはマン島から援軍を率いて義兄のもとへ駆けつけ、ともに戦ってマーシアを撃退。ポウィスを守り抜いたのです。

この手腕が評価されたのでしょう、母の故郷であるグウィネズからも声がかかります。本来ウェールズでは、統治者の息子たちに国を分割し、その中の一人が全体を継ぐのがルールでした。しかし「今の王室には器のある人物がいない」と、方針を転換したのです。メルヴァンは王室の直系ではないマン島の人物でしたが、母を通じてウェールズ王室の血を引いていることを理由に、825年、最強国グウィネズの統治者となりました。ここに新たな王室が始まります。

その後マーシアがウェールズに攻めてくることはなくなり、ようやく平和な時代が訪れました。混沌の時代に現れる救世主――まさにメルヴァンがその役割を果たしたのです。

アーサー王物語の“生みの親”かもしれない王

ネンニウスに歴史書の執筆を命じるメルヴァン

メルヴァンの功績は、国を治めたことだけではありません。誇り高いブリタニアの文化と歴史を後世に残そうと、文化面でも大きな貢献をしたと伝えられています。

メルヴァンは歴史家ネンニウスに命じて、歴史書『ブリトン人の歴史』を書かせたと言われています。この書物こそ、英雄アーサー王について具体的な記述が見られる最古の資料。つまり、アーサー王のような救世主を待ち望んだ時代に現れた王が、アーサー王物語そのものの生みの親だったのかもしれないのです。

この時代の年表

  • 682年頃:ブリタニアの終焉
  • 754年:カラドグがグウィネズの統治者となる(王室外の血筋)
  • 757年:マーシアでオッファが王となる(〜796年)。ウェールズとの国境にオッファの土塁を築く
  • 798年:カラドグがマーシアのコエンウルフとの戦いで戦死。コナンがグウィネズの統治者に
  • 812〜816年:コナンとハウェルの権力争い。ハウェルがグウィネズの統治者に
  • 822〜823年:カンゲンとメルヴァンがマーシアのセオウルフの攻撃を撃退
  • 825年:メルヴァンがグウィネズの統治者となり、新たな王室が始まる
  • 828年:ネンニウス著『ブリトン人の歴史』が書かれる

ウェールズ史全体の流れは、中世ウェールズ史を8つの時代でたどる記事でも紹介しています。

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