南北朝+戦国+下剋上? ウェールズ史上もっとも忙しい231年間

前回、ハウェル善王がほぼ統一してくれたはずのウェールズ。しかし平和はそう長くは続きません。今回お話しするのは、王家が再び分裂し、主導権が目まぐるしく入れ替わった、いわば“ウェールズ版南北朝時代”(950〜1181年)です。統治者交代のスピードは9人が入れ替わるほど。しかも南北の家系争いだけでなく、農民出身の男が国を奪う下剋上まで起きるという、なんとも忙しい231年間です。

ウェールズ歴史年表

統一の反動で、まさかの分裂

ハウェル善王がほぼ統一したウェールズでしたが、その後まもなく王家は二つに分かれてしまいます。北部グウィネズを拠点とするアベルファラウ家と、南部デハイバースを拠点とするディネヴァウル家(善王ハウェルの家系)。両家の子孫が、ウェールズの主導権をめぐって争い合う時代が始まったのです。

アベルファラウ家とディネヴァウル家の拠点

混乱に拍車をかける“三つ巴”

厄介なのは、南北の家系争いだけではありません。それぞれの家系の中でも、兄弟や叔父・甥同士の後継争いが絶えなかったのです。さらに、この南北朝の争いと家系内の内乱の隙をついて、どちらの家系にも属さない人物が突然国を乗っ取ってしまう下剋上まで起きました。南北朝の対立、お家争い、そして下剋上。まさに三つ巴の混乱です。

南北朝・お家争い・下剋上の三つ巴

ダイジェストで見る、目まぐるしい統治者交代

北部グウィネズの主導権がどう移り変わったか、年代順に見てみましょう(アベル=アベルファラウ家、ディネ=ディネヴァウル家、下剋上=王家以外)。

  • 916〜942年:イドワル・ヴォエル(アベル家)
  • 942〜950年:ハウェル善王(ディネ家)
  • 950〜986年:イドワルの息子・孫たちの後継争い(アベル家)
  • 986〜999年:マレディズ(ディネ家)
  • 999〜1005年:コナン(アベル家)
  • 1005〜1018年:エダン(下剋上)
  • 1018〜1023年:ラウェリン(ディネ家)
  • 1023〜1039年:イアゴ(アベル家)
  • 1039〜1075年:グリフィズ、ブレディン(ディネ家)
  • 1075〜1081年:トラハエアルン(下剋上)
  • 1081〜1137年:グリフィズ(アベル家)

見ての通り、アベルファラウ家とディネヴァウル家がほぼ交互に主導権を握っています。それぞれの家系内でも兄弟・叔父甥同士の争いが絶えず、そこにエダンやトラハエアルンといった下剋上の人物が突然入り込んでくる。まさに戦国時代さながらの構図です。

アベルファラウ家の家系図

ディネヴァウル家の家系図

頂点から一気に転落した“不人気”統一者

南北朝時代の初め頃、アベルファラウ家の後継争いの隙をついて勢力を広げた人物がいました。ディネヴァウル家のマレディズ・アブ・オウァインです。986年にグウィネズの統治者カドワロンを攻めて領土を奪い、さらにポウィスも手中に収めます。988年には父オウァインからデハイバースを継承し、南部の一部を除くウェールズの大部分を勢力範囲に収めました。

マレディズの最大勢力範囲(986年)

ウェールズの中世史でここまで広範囲を掌握した人物は、実は7人ほどしかいません。ハウェル善王、グリフィズ・アプ・ラウェリン、オウァイン・グウィネズ、ラウェリン大王、ラウェリン・ザ・ラスト、オウァイン・グリンドゥールといった名だたる英雄たちです。しかしマレディズだけは、なぜか評価が低いのです。

理由は、頂点に立った後の変わりようでした。外敵に攻められても武力を使わなくなり、ヴァイキングに襲われた際は戦わずに多額の身代金を払って人質を解放してもらう対応を繰り返します。甥エドウィンに攻められた時も防戦一方で、身代金を払うだけでなく領土まで奪われてしまいました。かつて奪ったグウィネズもアベルファラウ家のコナンに奪回され、999年にマレディズが死去すると、デハイバース自体もアイルランドからの侵略者ラインに乗っ取られる有様。頂点から急落下したこの経緯が、マレディズが歴史上あまり注目されない理由なのかもしれません。無闇に戦って犠牲を出すことを避けたかったのかもしれませんが、この戦乱の時代には不向きな選択だったようです。

ヴァイキングに身代金を払うマレディズ

農民出身の暴君を倒した男

グウィネズの統治者はマレディズからアベルファラウ家のコナンに戻りましたが、今度は別の下剋上が起こります。農民出身と言われるエダン(エダン・アプ・ブレギウリド)が、コナンの死を狙って1005年にグウィネズを奪ったのです。北も南も王家以外の人物に奪われ、ウェールズ王家は共倒れ寸前の状態でした。

エダンの統治で国は荒廃し、人々の不満は募るばかり。そこに現れたのが、ラウェリン・アプ・セイサルという人物です。父方の血筋は定かではありませんが、かつてウェールズの大部分を統治したマレディズの娘アングハラドと結婚していました。当時、王家にふさわしい人物が見当たらなかったこともあり、王室との血縁があればよいとされ、人々はラウェリンがエダンを倒すことに期待を寄せます。

人々とともにエダンを討つラウェリン

1018年、ラウェリンは兵を挙げてエダンとその4人の息子を討ち、下剋上を鎮めてグウィネズとポウィスの統治者となりました。さらに1022年には、妻の父マレディズが治めたデハイバースの奪還にも動き、侵略者ラインをアベルグウィリの戦いで破って南部も手中に収めます。富と人々に恵まれた有能な統治者だったと伝えられていますが、翌年にはあっけなく亡くなってしまい、グウィネズは元のアベルファラウ家に戻り、デハイバースは新たな略奪者の手に落ちてしまいました。

同名対決、そしてウェールズ史上唯一の統一者

北のグウィネズは本家アベルファラウ家のイアゴが統治するようになりましたが、南のデハイバースは、南東の隣国モルガンウィグを統合したリデルヒ・アプ・イエスタンに奪われてしまいます。その後一旦はディネヴァウル家のハウェル・アプ・エドウィンが取り戻すものの、再侵攻の不安は残り続けました。

この状況で立ち上がったのが、かつてウェールズを救ったラウェリンの息子、グリフィズ・アプ・ラウェリンです。1039年、アベルファラウ家のイアゴが内乱で暗殺された隙にグウィネズとポウィスを奪取。1043年にはデハイバースのハウェルを追い出して南部も手に入れます。妻まで奪われたハウェルはデンマークのヴァイキングの助けを借りて反撃しますが、1044年にグリフィズがこれを撃破。デハイバースの地位を固めたかに見えました。

グリフィズ・アプ・ラウェリン

ところがここで、モルガンウィグのリデルヒの息子、もう一人の「グリフィズ」が登場します。紛らわしいので、ディネヴァウル家の彼を「グリフィズ・ラウェリン」、モルガンウィグの彼を「グリフィズ・リデルヒ」と呼び分けましょう。グリフィズ・リデルヒの攻撃でデハイバースは再び奪われ、グリフィズ・ラウェリンは1047年に敗れて追放されてしまいます。何度も反撃を試みるも失敗し続けたグリフィズ・ラウェリンは、ついに国外に目を向けます。1055年、イングランドのマーシア伯エルファガーの協力を得てグリフィズ・リデルヒを打ち破り、デハイバースを奪還。そのまま勢いに乗って東進し、宿敵の本拠地モルガンウィグまで奪い取り、1058年にウェールズ全土を手中に収めました。

グリフィズ・アプ・ラウェリンは、長いウェールズ中世史の中で、ウェールズ全域を支配した唯一の人物です。

1058年 グリフィズ・アプ・ラウェリンのウェールズ統一

統一の代償、そして“慈悲深き王”の登場

しかしこの統一は長くは続きませんでした。グリフィズはイングランドのマーシア伯エルファガーとの同盟によって統一を実現しましたが、イングランドのハロルド(後のハロルド2世)はグリフィズの勢力拡大を嫌っていました。1060年にエルファガーが亡くなると、ハロルドは弟トスティグとともに軍を率いてウェールズに攻め込み、グリフィズを殺害してしまいます。

その後グウィネズを継いだのは、ラウェリンの異父弟ブレダン(ブレダン・アプ・キンヴィン)。「すべての王で最も慈悲深く最も愛された王であった。親類に礼儀正しく、貧しい者に寛大で、巡礼者や孤児、未亡人といった弱い者の弁護者であった。誰も傷つけず、侮辱された者を守り、すべての人に手を差し伸べ、戦争を嫌い平和を愛した」と評されるほどの人物です。ブレダンはハロルドに忠誠を誓い、イングランドとの関係を保ちながらウェールズの平和を維持しました。

慈悲深き王ブレダン

ですが時代はすぐに変わります。1066年、フランスのノルマンディー公ギョーム2世がイングランドに攻め込み、ヘイスティングスの戦いでハロルド2世を討ち取ります。ギョーム2世はウィリアム1世として即位し、長く続いたアングロ・サクソン人によるイングランド統治は終わりを迎えました(ノルマン・コンクエスト)。

ウェールズ版天下分け目の戦い

このノルマン・コンクエストは、ウェールズの運命も大きく変えます。各地でアングロ・サクソン人がノルマン支配に抵抗し、ウェールズもイングランドと同盟してこれに対抗する一方、直接ウェールズを侵略するノルマン人も現れ、新たな戦いの幕が開きました。

そんな中、思わぬ事態が起こります。グウィネズのブレダンが、同じディネヴァウル家のリース・アプ・オウァインに攻められ、1078年のグッドウィックの戦いで戦死してしまったのです。すると再び下剋上の波が訪れます。血筋の定かでないトラハエアルン・アプ・カラドグが現れ、ブレダンを討ったリースを撃破(リースはその後の戦いで戦死)、その勢いでグウィネズを占領してしまいました。

ここで動いたのが、本来グウィネズを継ぐべきアベルファラウ家の直系、グリフィズ・アプ・コナンです。グリフィズとトラハエアルンの執念深い戦いが始まります。

一度はアイルランド軍の助けを借りてトラハエアルンに勝利したグリフィズですが、トラハエアルンがヴァイキングと手を組んで反撃し、グリフィズは再びアイルランドへ逃亡。一方、南部デハイバースの統治者リース・アプ・テウドゥールも、モルガンウィグのカラドグ・アプ・グリフィズに攻められ国を追われていました。同じ境遇にあったグリフィズとリースは手を結び、トラハエアルンとカラドグも同盟を結成。こうしてウェールズは二大勢力に分かれ、激突することになります。

1081年、両陣営はマナッズ・カルンの戦いで激突。グリフィズ率いる同盟軍がトラハエアルン軍を夜襲で急襲し、トラハエアルンとカラドグは戦死しました。グリフィズはグウィネズを、リースはデハイバースを奪回。グウィネズはアベルファラウ家に戻り、以後この家系が継続して統治することになり、南北朝時代はついに終わりを迎えました。

マナッズ・カルンの戦い(1081年)の夜襲

ノルマン人の本格侵略、そして最後の反撃

しかし本当の苦難はここから始まります。グウィネズを取り戻したばかりのグリフィズに、新たな危機が襲いかかります。ウェールズとイングランドの国境チェスターを拠点とするノルマン人、ヒュー伯爵に攻め込まれ、グリフィズは捕らえられてチェスター城に投獄。グウィネズもノルマン人に占領されてしまいました。

グリフィズは12〜16年もの間投獄されたと言われ、1093年または1097年にウェールズ軍の助けを借りてようやく脱獄。軍を立て直すため再びアイルランドへ渡ります。その頃ウェールズ各地はノルマン軍の占領下にありましたが、その横暴さに耐えかねた人々が各地で反乱を起こしていました。ウェールズ軍だけでなく農民たちも加わった、まさに国をあげた反乱です。これをチャンスと見たグリフィズはアイルランド軍の援助を得て反乱軍に合流し、北部を占領していたノルマン軍を打ち破って領土を奪回しました。

チェスター城から脱獄するグリフィズ

それでもノルマン軍は何度も攻めてきます。1121年にはイングランド王ヘンリー1世率いる大軍が侵攻してきましたが、団結したウェールズ軍が急襲して勝利。ヘンリー1世は、ウェールズ攻めが利益より損害の方が大きいと悟り、以後グリフィズの統治下でノルマン軍が攻めてくることは二度となくなりました。

波乱万丈の生涯を経て、グリフィズはグウィネズだけでなくウェールズ全体の統治者として、確固たる地位と名声を手にしたのです。

ウェールズ史全体の流れは、中世ウェールズ史を8つの時代でたどる記事でも紹介しています。

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