兄が攻めてきても、国を手放さなかった弟の王。ロドリ大王の次男でハウェル善王の父「カデル・アプ・ロドリ」

ある日、自分の国に兵が攻め込んできた。率いていたのは、なんと実の兄。

9世紀のウェールズで、そんな目にあった王さまがいます。名前はカデル・アプ・ロドリ。

父親は「大王」、息子は「善王」と呼ばれた名君。その間にはさまれて、ちょっと影が薄くなりがちな王さまです。でも、彼が兄に負けず南ウェールズに根を張っていなければ、息子がウェールズをまとめ上げることはなかったかもしれません。

なお、これからお話しする内容は、中世の年代記や伝説などをもとに僕の解釈も加えたものです。物語としてお楽しみください。

大王の家の次男坊

カデルが生まれたのは850年ごろ。父親はグウィネズの王ロドリ、のちの「ロドリ大王」です。母親のアングハラドは、南西の国セイサルウィグの王家の出身でした。

ロドリには息子が6人いたとも言われますが、くわしい記録は残っていません。よく知られているのは、長男アナラウド、次男カデル、そしてメルヴァンの三人です。

「カデル」という名前は、ひいひいおじいさんにあたるポウィスの王、カデル・アプ・ブロフワエルから受け継いだものだそうです。大王の家に生まれた次男坊には、ご先祖さまの名前が託されていたんですね。

伯父の国を、母の血で継ぐ

カデルの人生が大きく動いたのは、871年か872年のことでした。

セイサルウィグの王グワゴン、つまりカデルの母親の兄が、川で溺れて亡くなったのです。グワゴンには跡継ぎの息子がいませんでした。

そこでセイサルウィグを引き受けたのが、妹の夫であるロドリです。ただ一説には、ロドリはこの国を自分のものにする正当な権利を持っていなかったため、母方からセイサルウィグの王家の血を引くカデルを王に立てた、とも言われています。

セイサルウィグは、今のケレディギオンと、ティウィ川の流れるイストラッド・ティウィをあわせた国です。20歳そこそこの若者が、南ウェールズの一角を任されることになりました。

伯父グワゴンの国セイサルウィグを任される若きカデル

父の死と「ロドリのための神の復讐」

878年、父ロドリは東のマーシアとの戦いで、兄弟のグリアドとともに命を落とします(877年とする記録もあります)。

残された兄弟たちは黙っていませんでした。881年、長男アナラウドがコンウィ川のほとりでマーシア軍を打ち破ります。ウェールズの年代記は、この勝利を「ロドリのための神の復讐」と書き残しました。

父の国は、兄弟で分けて受け継がれました。アナラウドが北のグウィネズを、カデルが南のセイサルウィグを、そしてメルヴァンが東のポウィスを治めたと伝えられています。

「ロドリの息子たち」は怖かった

このころの兄弟は、南ウェールズの小さな国々から見ると、かなり恐ろしい存在だったようです。

イングランドのアルフレッド大王に仕えた修道士アッサーは、南西の国ダヴェッドの出身でした。そのアッサーが書いたアルフレッドの伝記によると、ダヴェッドの王ヒヴァイズや、ブリュヘイニオグの王は「ロドリの息子たちの力」に押されて、アルフレッドに助けを求めたそうです。

すぐお隣のセイサルウィグにいたカデルも、きっとその圧力の一端を担っていたはずです。

そして893年ごろ、アナラウドと兄弟たちもアルフレッドのもとを訪れ、その傘下に入ります。ウェールズの王たちは、こぞってイングランドの大王を頼るようになっていきました。

兄が攻めてきた日

ところが、兄弟の結束は長くは続きません。

895年、兄のアナラウドがイングランド人の兵を連れて南へ攻め込み、ケレディギオンとイストラッド・ティウィを荒らしました。どちらもカデルの国です。

「兄上、なぜ僕の国を…!」

カデルにとっては、外の敵よりつらい相手だったかもしれません。それでもカデルは国を守り抜き、伝えられるところでは、のちに弟メルヴァンのポウィスまで手に入れたとも言われています(ポウィスをめぐる話は記録によって食い違い、はっきりしません)。

兄アナラウドの軍を迎え撃つカデル

三兄弟の対立。灰色の南西部は、のちに息子ハウェルがまとめる「デハイバース」

こうして、ロドリ大王の家はアナラウドの北の家系と、カデルの南の家系に分かれていきます。カデルの子孫は、のちに「ディナヴァウル家」と呼ばれる南ウェールズの王家になりました。

息子ハウェルとともに、ダヴェッドへ

カデルの晩年、南ウェールズの地図がまた大きく塗り替わります。

904年から905年ごろ、カデルは息子のハウェルとともにダヴェッドを手に入れ、ハウェルをその王にしました。ダヴェッドの王ラワルヒが亡くなり、その娘エレンがハウェルの妻になっていたことも、この流れを後押ししたのでしょう。かつて「ロドリの息子たち」を恐れてアルフレッドに助けを求めた国が、ついにカデルの家のものになったわけです。

息子ハウェルとともにダヴェッドへ向かうカデル

909年、カデルは亡くなります。国は息子のハウェルとクリドウグに受け継がれました。920年にクリドウグが亡くなると、ハウェルが二つの国をまとめて「デハイバース」という大きな南の王国をつくります。

そのハウェルこそ、やがてウェールズのほぼ全域を治め、600年も生き続けた法律をまとめた「ハウェル善王」です。

カデルはどんな人物だったのか

カデルについて、たしかに分かっていることは多くありません。年代記に名前が出てくるのも、ほんの数回です。

でも、その足どりを並べてみると、一本の線が見えてきます。母の血で伯父の国を受け継ぎ、兄に攻められても手放さず、晩年には息子と一緒に隣の国まで広げた。北のグウィネズとは別に、南ウェールズに自分の家の土台をしっかりつくった王さまでした。

父のような派手な勝利も、息子のような名高い法律もありません。それでも、大王と善王のあいだで、カデルは南の国をしっかり守り、次の世代へ手渡しました。ハウェル善王の大統一は、この父親が残した土台の上に花開いたのかもしれません。

父親ロドリの物語はロドリ大王の記事で、兄弟たちの争いやハウェル善王の法律は統一時代の記事で紹介しています。祖父メルヴァンが気になる方はメルヴァン・ヴリッヒの記事もどうぞ。

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